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本殿-大田市指定文化財-

水上神社本殿 棟札 水上神社本殿は平成の御造営に際し、本殿の柱から建築年を示す墨書が発見され、調査の結果、宝暦11(1761)年の建築であることが明らかとなり、平成25(2013)年12月に本殿が大田市有形文化財に指定されました。
 本殿は境内奥の石垣を築いて高くした基壇に建ち、拝殿と本殿の間は階段によって繋がっています。拝殿の南東隣には神楽殿、境内の南隅の一段低い壇には東照宮が祀られています。
 棟札により、本殿は拝殿と共に宝暦11(1761)年に建てられたことがわかり、本殿柱の墨書や文書資料(「水上神社造営記」)記載の年紀とも一致しました。一連の造営は、「小濱村」の後藤文右衛門と波多一郎右衛門が大工棟梁を務めたことがわかります。
 身舎部分は基本的に宝暦11年当初の部材を残しますが、庇廻りの海老虹梁や水引虹梁は江戸後期の改造とみられます。また、両側面の縁廻りは近代の修理、正面の扉板は昭和41(1966)年の修理で取り替えられており、各部の改変は長い年月を経た修理の歴史を物語っています。
 水上神社本殿は、庇廻りに部分的な改造がみられるものの、建築年やその造営の経緯などが詳細にわかる極めて稀少な建物です。大田市域における江戸中期の流造社殿の基準となるばかりでなく、蟇股や象鼻などの彫刻は優れており、虹梁の絵様も含め造営の時代をよく表ています。また、装飾的な軒付は石東地方にみられるものであり、当本殿の価値を高めています。



■本殿柱墨書
墨書 本殿の柱裏にある墨書。「宝暦十一年辛巳」の年号とともに、棟梁や大工、木挽など造営に関わった職人たちの名前が見られます。


■水上神社本殿軒付
軒付  本殿屋根の軒は、銅板葺部分(上軒付)と積板部分(下軒付)からなる二重軒付と呼ばれる形式です。銅板葺の部分は以前は檜皮葺であり、下軒付の積板一枚一枚には木口を彫り込んだ装飾が見えます。こうした技法は、石東地方の近世神社建築などでわずかに見られますが、水上神社のものは積板4枚へ七宝繋ぎ文様を作り、屋根の四方全てを飾る点で、他に類を見ません。積板一枚の幅は4~5cm程度で、屋根の周囲の長さから計算すると、2400枚余りの積板を加工していることになります。屋根の葺替えの際に取り替えられることが多いなか、水上神社の軒付板は損傷も少なく当初のまま残る点も大変珍しいことです。

■本殿正面支輪部分
支輪  黒色に塗装された支輪と呼ばれる部材には、正面に菊紋と桐紋、両側面に桐の浮彫が施されています。また、紋には彩色の痕跡がみられることから、当初は黒字に映えた色鮮やかな紋であったと考えられます。

■本殿妻虹梁
虹梁  虹梁には渦と若葉からなる絵様が刻まれます。これらの絵様の形状は建物の年代判定をするうえで指標となりますが、水上神社のものは江戸中期の特徴をよく示しています。





水上神社
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