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石見銀山と西田地区

街道から水上神社を遥拝する 大田市温泉津町西田は、湯里川上流で石見銀山の西側にあたる地域です。地名の由来は江戸時代にまとめられた『石見八重葎』(石見地方の地誌)には、「水上山の西に田のある里、又、古は田八反程ある故、二四田と名付く」とあります。
 現在は「ヨズクハデの里」として知られていますが、石見銀山の最盛期の頃は、銀山街道の要衝として栄えた地域でした。慶長5(1600)年の記録によると、銀山の街道は、西田、佐波、大田から3つの街道があり、各街道からの物資へ課せられていた駄賃役は、西田のものが最も多く、西田から銀山への街道が重要であったことを物語っています。このため、早くから茶屋町として栄え、市も立っていたとされています。  このほか、天正3(1575)年に島津家久(安土桃山時代の武将)が西田を通り温泉津へ向かったことや、天正15年には細川幽斎(安土桃山時代の武将・歌人)が銀山から温泉津へ向かった記録が残されています。戦国大名たちも温泉津へ向かうかたわら、水上神社を遥拝したのかもしれません。
 みなさんも、戦国大名や街道を往来していた人々に想いをはせてみませんか。

西田周辺銀山街道地図


水上神社
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